調理とは食具に合わせて食糧を変形させることである
調理とは何かについて様々な定義があろうが、これもまたひとつの側面であろうと思うのだ。なんでわざわざこんなことを言い出すかといえば、実はうちの給食が、味はともかく「何で食べればいいのかわからない」のである。やたら細かく刻まれた煮物に箸がついてきたりとか、粘り気の多い日本米の炊き込みごはんに、味付けが洋風だからという理由で匙がついてきたりとかそういうのだ。
食と食具について、箸で、また片手で食べることができるから日本人はえらいのだという人が一定数この国にはいて、私はそれは大きな誤解だということをずっと言っているのだけれども、同根の問題をこのことにも感じる。
その土地では何がとれるのか、そしてどんな調理法がその土地の人々に可能か。この二つでおおよその料理のアウトラインが決まるといっていいだろう。さらにその先に、どんな道具で食べるかというマナーが決まってくるのだろうと思うのだ。それはその土地が地球上のどこにあるか、そしてどんな歴史を歩んできたかに大きく影響されるものではないのか。箸で食べることができるのは、箸で食べられるように調理してあるからである。硬いステーキ肉にはナイフが必要だ。ドネルケバブには包丁が必要だし。
細かく刻みすぎた野菜ならば匙もつけてくれ。味付けが洋風であっても粘る短粒種米は箸で食べさせてくれ。料理とはそういうものではないのか。