読む読ませる2

ジョジョの奇妙な名言集1、聖船のラー、しろくまカフェが人気。とくにジョジョはセリフの劇的さがツボった模様。「ウリィィィィ!!」とか言ってる。
聖☆お兄さんは一度手放したけど、読ませるために買おうと思う。はみだしっ子も置きたいんだけど、アウトかなーどうかなー。民芸関連の本も置いてさりげなく布教してるけど、まったく手に取ってくれない。しかし、かといってひっこめなくてもいいと思うんだよね。「世の中にはこんな本もあるのか」って思ってもらうだけでもいいんじゃない。
安心して読ませられるかって観点で本を選んでみると、「自分が何をアウトだと思っているか」が可視化されてくる。私は食品について過剰な不安をあおったり、一つの食品をあがめるようなものはダメだと思うし、学校が教えてくれない〇〇もダメ。ここが学校だからじゃなくて、その手の本は「教えてるよ?」って内容なんだよ大体。勿論、教科書に世の中の全てが載ってるわけはなくて、掲載されてる一方削られた部分もあるわけ。特別支援学級の子って、やっぱ「見下された」経験が多いから、その反動から他者をディスる側に回ることも多いので、浅薄な知識で権威の裏をかいたような気にさせたくない。
結局、著者が「どのように読者と関わりたいか」がその本のスタイルを決めていて、そこが第一に重要なのだと思う。「コミュニケートする気がない」ものはいらないし、「共通敵を作って盛り上がる」ものはもっといらない。読書って孤独でバーバルな趣味のようだけど、実はものすごくコミュニカティブでノンバーバルな側面もあるのだ。私がどんな本を置くか、そこから何を手に取るかを通じて、あの子たちと私は空気のやりとりをしている。彼らは私の人生を吸収している。それは箸であり、民芸であり、骨董であり、多文化・異文化コミュニケーションであり、心理学、博物学、コーヒーなのである。