ティンダー国際支部永久解散の件

しばらく前から外専です。

私の歳で釣り合うような年齢の余ってる男なんかまずもって地雷しかいないし、それがわかっててなお日本人を相手にしてると、当然コミュニケーション日本語じゃないですか。でも外人だったら、たとえどんな不良外人であってもとりあえず語学の勉強にはなるじゃん?って。あと、やっぱ違う国の人の話はそれだけで勉強になるよね、っていう「どう転んでも損はあるまい」的な動機だったんですけども、予想をはるかに超えて、実り多いというか収穫があるといいますか、交際にいたるかどうかはおいといて、すごく蒙を啓かれるんですよ。

中にはほんとにすごい国を超えたバカもいて、自分の国の政治も文化もなにも語れない、ひたすら筋トレとセックスの話しかしないやつもいるけど。

みんな普通の、いわゆる一般市民だけれども、たとえば中東の男性からイランイラク戦争についての生の恨み節を聞く機会なんて、少なくとも今までの人生ではそんなチャンスはなかったです。イランの小津と呼ばれるキアロスタミも知らなかった。

この1年、私はいろんな国の人にいろんな話を聞かせてもらって、いろんなちんこを見せてもらいました。黒人のペニスをBBCBig Black Cock)、白人のペニスをWBCと冗談で呼ぶことも知りました。(※形容詞の並び順的にはWhite Big Cockは逆転がある)

そんな感じで楽しくティンダー利用してたんですけど、ある日突然垢バンくらってしまったのだよ。色々試したけどダメ。そしてティンダーは一切理由は教えてくれない会社です。

これは推測なんだけど、海外男性と会話を楽しむ一方で、映画ファンを名乗る日本人男性を煽って怒らせて暴言を引き出したうえで通報するっていう遊びを繰り返してたのがよくなかったのかなあって。

でも映画ファンって言っておきながら、イーストウッドを知らないのは論外じゃない?ポランスキーに至っては作品名と勘違いするし、かつ絶対に「知らない」って言わないんですよね。謝ったら死ぬ病ってあるけど、それに罹患してる人大体、女の前で無知認めたら死ぬ病も発症してますから。何が「フォアマンは映像美がいいですよね。どれがっていうんじゃなくて全体的にそういう印象です。」だよ、お前絶対フォアマン一本も見てないだろ。こんなの普通にコロしたくなるじゃん?

これ男性に話すと「ひどい!」ってぷんすかするか「どうせマーベルしか見てない連中でしょw」って反応に分かれますね。でも私、知らないので教えてほしいってスタンスで来る人にまでじゃけんにしたりはしてないですから。

ちなみにティンダー国際支部ってあだ名はTwitterで交流してる相互さんにつけてもらった。気に入ってる。現時点で復活のめどはないですが、一応マイBBC確保したのでしばらくはいいです。この人がコロナ陽性になって大変な目にあったのはまた後日。

 

 

 

 

 

久々にAmazonレビューを投稿した「私のエッジから観ている風景」

Twitterスペースに何故だかすごく韓国文化に詳しい方がいらして、どういう方なのだろうと思っていたら、金村詩恩さん私のエッジから観ている風景 (hatenablog.com)

という、韓国(と言っていいのか朝鮮半島と言った方が正しいのか)にルーツを持つ、ライターの方だった。私はそれまで存じ上げなかったのだが、この夏は韓国について学ぼうと思って何かよい本はないか尋ねたら、もうお一方と一緒に色々教えていただいた。その流れで金村さんご自身も「私のエッジから観ている風景私のエッジから観ている風景: 日本籍で、在日コリアンで」出版されていることを知り、久々に日本語の本を読んだ次第。(私は今、家に帰ったら英語だけ使うようにしているので)教えていただいたほかの本は帰省先で読めるように手配した。

 

これは残すべき、残るべき、読まれるべき本だ。ただ、ブログ掲載時のタイポがかなりあって、これは編集者が気づくべきだと思う。私がこれを言うと「在日コリアンは正しい日本語を過度に要求される」という日本国内の悪習と表面上同じになってしまうのだが、しかしこの複数のタイポのために私は今回、児童むけの図書館に推薦していいかどうかかなり迷ったのである。国語的ミスが少ないことは、こういうところで人の目に触れる機会の拡大につながる。

およそ30年前、教育現場で「国際協調」「グローバル化」が合言葉になって、英語教育は大きく変わった。AET(現在のALT)が導入された。
しかし、当初、AETとして雇用されるのは白人だけで、これは後に批判を呼んだ。当たり前だが、当時は「外国人らしくない」という理由でアジア人も黒人も雇用しないことの問題性に、自治体(あるいは文部省)は無自覚だったのである。
国際化を見据えた教育(諸外国を意識した教育)というのであれば、まず何よりも日本は周辺国とどうかかわってきたかを総括し、そして今後どうしていくか、という視点があるべきだったのだが、現代においてもその動きは英語科教育にはない。英語の教科書にはアジア人も黒人のメインキャラクターもかなりあとになるまで登場しなかった。

戦争の話はかならず一つ出てくる。原爆、かわいそうな象、アメリカにおける日本人収容の話などで、日本人が外国人に何をしたかではない。外国語を子どもに学習させるときに、その題材は深刻すぎてはいけないし、コントロバーシャルなものも、外国語習得という観点からするとふさわしくない。

だが、問題はある。在日コリアンという存在について、歴史と公民の授業では扱うが、日本にいながら民族性を時にはく奪され、時に求められる在日コリアンの存在を、国際化の名のもとに、「外国語科」が完膚なきまでに無視している、国がそういうことをしている。その態度がヒドゥンカリキュラムとしてどのように働いているか。
それは実のところ国際化教育ではなく、ただ単に将来的労働者(納税者)に何を教えておきたいかというだけの話なのだ。それ自体は別にかまわない。公教育は将来の国民の育成が、その主目的のひとつである。

だが、そこでこぼれ落ちたものを無視してはならない。取り上げられないものを、そのままにしない手立てが、別のところで絶対に必要だ。教育にはもう一つ「子どもの将来的幸福」という目的がある。この空々しい「シカト」を織り込み済みのままにするむなしさ、感情的不幸を内包した教育なんてあるだろうか。


学校教育は「児童生徒個人の将来的幸福に尽くすこと」と「社会の維持および構成員の安定的供給」、この二つを車の両輪として成り立っていて、そして不完全である。抜け落ちたところを補完するものが常に必要だ。これは、まさにそのための書籍である。

 

いろはす黄金のパインはいいぞ

ひさびさによかった。熟れた果物のちょっと腐れ臭い感じも再現されてて、ココナッツの風味もあってこの夏ピニャコラーダを作るのに重宝した。ピニャコラーダ、ココナッツミルクとパイナップルジュースだけだとくどすぎて、いろはすとラム:ココナッツミルク:パイナップルジュース=5:2:3くらいだと美味しかった。もう販売終わったみたいで、見かけなくて寂しい。この香りの再現、いろはすシリーズはやっぱうまいよなあ。たまに微妙だけど。

私がいまだに思い出すのはいろはすとまとです。あれはほんとにすごかったので、ぜひ復刻してほしい。カートンで買う。

それはそうと、桂正和コラボのX-girlのラインが普通にダサくてびっくりしてる。そりゃ絵はうまいよ。でもだから何?ファッションとしてイケてるのこれ?こういう、性的消費の象徴みたいなものを女性があえて身に着けるところにエッジを見出してくれ的なやつなの? 売れるのかなこれ。アロハはちょっといいかなと思ったけど。まあいいや、注視しよう。

本当は心置きなくパラを楽しみたい

欠損フェチなんですよ。自覚したのはもうだいぶ前なんですけど、片脚が腿から、もう片脚がひざ下からっていうアンバランス両脚欠損で、黒やシルバーのシュッとした義足つけてる白人の細マッチョが最高に好き。北欧系より南欧系。射撃とかバドとかやっててほしい。髪は黒か褐色。

エロい目で見てます。変態です。わかってます。不道徳だし不謹慎ですよね。でも私はその体が好き。五体満足の美丈夫にだけ美は宿るわけではないのだ。体にはバリエーションがあり、同時に美にも性的魅力のありどころにも、バリエーションがある。

健常者のアスリートに「兄さんええ体してまんなあ」と言うのがセクハラであるように、障害のある体にそう言うこともまた、同じ理由でセクハラでなので、そういった理由でこのエントリはセクハラです。

で、それはそれとして、私はパラ競技を単純にエンタメとして見たいから、感動・道徳の路線でぐいぐい来ないでほしいんですよ。なえるし。大体必要?まだ今は必要なのかな。いやでも彼らはパラのオリンピアンだよ?強者じゃん。もっとさあ、シュっとしようよシュっと。

でも日本はもうずっと成熟しない社会だし、知識や教養の階層の、まあまあ下めのマスのところに焦点あてるのがテレビだから、そんな未来は来ない。いや自分が教養があるって言ってるんじゃないですよ。じゃなくて、紋切り型の障害者観から抜け出す未来はないっていうこと。最近は「かわいそうと言ってはいけない」「かわいそうかどうか決めるのは本人だから」が流行ってきて食傷している。それもまた違うと思うけど、その話はまた今度。

 

またしても病を得る

とりあえず上から、多年にわたる不眠症、喘息、頚椎の変形、靭帯の骨化、治らないテニス肘、膝関節なんとか、ともう全身悪いところしないような状態なんだが、いつのまにか子宮筋腫もできていた。あと地味にいぼ体質だ(治らない)。

子宮筋腫まだ小さくて経過観察なんだけど、とにかくふらふらする。ボリボリ鉄サプリ食んでるとわりとマシ。間違えて鉄じゃなくてマルチミネラルのサプリ買って飲んでたら、ガタガタとまた体調が落ちたから、やっぱ鉄なんだろうな。

それはそうと皆さんオリンピック見てますか?見ましたかあのひでえ開会式。その数日前に、どうせ日本の、さんざんな出来なんだろうから諸外国のと比較して笑おうと思って(性格が悪い)ロンドン五輪開会式Youtubeで見たらいやもうやっぱすごくって、当時はなんか不気味とか言われてたらしいけど、いいじゃん。イギリスって国がたどった歴史を表現したいんだなってわかるし、寺山っぽい、陰惨なきらびやかさはすごく好みだ。当時は五輪に興味なくて見てなかったけど。日本のはもう、なんつーか、比較にならないすねあれ。「要は規模のでかいおかあさんといっしょだね」って呟いたらおかあさんといっしょガチ勢から「おかいつの方がはるかに面白い」と指摘されてしまった。そうか、おかいつ以下か。やべえな。本来の意味でやべえな。

五輪自体もほとんど見てない。だってもうcovidワクチンの職域接種についてもうここでは書けないひどい目にあってものすごく消耗して、本当に本当にうんざりしてて、ほんともう無理。見る気にならない。五輪とcovidや、ワクチンは関係ないって人もいるけど、五輪のためにけっこうなリソースさいてるのは確かなんだからさ、これがなかったら、国民が今頃得られていた処置は確実にもっと多く、そして上質だったろうし、関係なくはないよさすがに。もうだめだと思う。日本。ほんともう無理、祖国。

私に教えるな

ティンダーで知り合ったたいして付き合いの長くない男に「スーツに合わせるブーツがないので買いに行かないといけない」と言ったら、「俺はサイドゴアを買った」「サイドゴアだ」「サイドゴアしかない」とえらくしつこく、うんざりしてブロックした。常識で考えて女のスーツにサイドゴアはないだろうよ。野戦病院の軍人かっつの。この、一部の男性の「俺様の叡智を女どもに教授しないことには死んでも死にきれない」と言わんばかりの教えたがり、従わせたがりの癖はいったいなんなのだろう。

また別のユーザーの話になるが、私が休日の朝に楽しんでいた、はちみつ漬けのいちごとミントを浮かべ、ポトスの葉をそわせて撮影したアイスティーの画像(自分で言うのもなんだがめっちゃイケてる)に「変なもの飲んでるね」とケチつけてきやがって、さらには「俺はビールだビールビールビールそれもアサヒだアサヒアサヒを飲んでる俺様は俺俺俺俺様はアサヒアサヒアサ」いつまでも俺俺アサヒアサヒうるさいことこの上なくてこれもブロックした。お前が何飲んでても、私の休日をくさす権利はないだろう。こいつら何年ティンダーやっても相手見つからないと思うよ。

昨今、数年前に紹介されたマンスプレイニングというタームと概念が徐々に浸透しつつあるわけだが、まさにそれだと思う。あの、目の前の女は自分よりも無知であるはずだというあまりに短絡が過ぎる偏見はなんなのだ。主婦は無知なはずだ、おばちゃんは無知なはずだ、若い女は無知なはずだ、そして「本当に賢い女」ならば俺のすごさを感知できるはずだ、というあまりに幼稚な願望。その発露としての横暴さ。

この感知というのが、私は確信をもって言うが彼らには相当重要なはずだ。男が男をわかるようには(つまり理論では)わかってはほしくないのだ。「うまく言葉にできないけど、アナタという男がすごいのは”わかる”」といった具合にわかってほしいのだ。女に理づめで納得されたくはないのだ、と私は思っている。「男が男をわかるようには」と言ってはみたが、理論的な男とかむしろそっちが幻想なのだが。

鬼平犯科帳にはよく「女とは女という生き物だ」、「理屈にあわないことをする、それが女だから」という強固で迷惑な決めつけが繰り返し登場する。それが嫌で見なくなったのだが、これは相当に世の中に根付いた迷信であろうと思う。お前ら、女がそういう生き物でいてくれないと困るんだろう、知ってるぞ。男より劣った、二流の、感覚で生きている生き物。それならそれでかまわないでおけばいいのに、幻想の「俺様を理解する本当のいい女」を探して火付けを繰り返している。「理屈にあわないことをする」のはどっちなのか。

 

自炊するということ

18で一人暮らしする前から私は台所に立っていて、食べ物を使って食べ物を作る経験が30年を超えたわけだけど、自分で作って食べることが楽しいと思えるようになったのってわりと最近かもしれない。

いつもどこかに作ることについて脅迫というか「ねばならない」感があって。この仕事について本当に忙しくなって、家事も半分外注して、それでもなおいろんなことがまわらないでいると、自炊が必然的に「自分で自分のために調理をすること」+「自分で自分の栄養の面倒をみること」になってきた。そしてそれでいいと思ってる。

だいぶ前に群ようこさんも言ってたけど、ふだんの料理なんて簡単なもので十分で、自分の能力を超えるものは外で食べたらいいのだ。もし作りたかったら作ればいい。冷凍食品だってほんとに進化したし。

最近は、たんぱく質を間違いなくおいしく食べようと思ったら、薄切り肉をゆでることだなと思ってる。これもなんとなく、塊の赤い肉を調理できてはじめて料理、みたいな気がしてて長らくコンプレックスだったんだけど、もういい。薄切り肉、安いだけでなく、握力や腕力の落ちた中高年の腕にも扱いやすいのだ。ポーションも調整がきいて小分けにできるし、食べたいだけ食べられるし。

で、このゆでるという調理法を私は推していきたいのである。要は簡易なしゃぶしゃぶなんだけど、さっと湯がいてポン酢でもなんでもすきな調味料で食べるのはかなりいい。火が通り過ぎないタイミングを見計らえるし、いちばんやわらかい状態で食べられるし、ゆでる汁に出汁やスープを使ってもいいのだ。ゆでたあとの汁を何かに使うこともできるし、捨てたっていい。とっておこうとすると鍋がふさがってかえってめんどうなこともある。

薄切りの牛肉をきゅうりと炒め合わせるケニア料理(だそうですよ。現地人に教わったから間違いない)にも一時期かなりハマってた。もともと我々は箸食文化なのだし、箸で食べられるようにカット、スライスされた肉がやはり便利なのだ。

あと、蒸してる。タジン鍋を蒸し器がわりにして、その日食べたいものをなんでも蒸す。蒸すという調理法、茹でより焼きよりとにかく早い。卵も最近は蒸している。めっちゃ早いし場所をとらない。ブロッコリーなんて気を付けてないと火が通り過ぎてぐずぐずになるくらいだ。誕生日にはエビを買ってきて、蒸しては食べ蒸しては食べのエビ祭りをやった。4尾も食べたらムネ悪くなって歳を実感したが、満足だ。こないだはかぼちゃを蒸した。シチューに入れる前の下ごしらえだったんだけど、蒸した時点で無茶苦茶甘くておいしかったので、あやうくなくなるところだった。ゆで上げたパスタの具合をみるのにちょっとつまむのに、ちょっとのつもりがけっこうつまんでしまうことってないだろうか。茹でや蒸しのおいしさってそれだと思う。

今日は鉄分不足が疑われたのでレバー食べてアルフェミニ飲んでにらそば(そばと一緒ににらをゆでる)を食べた。父直伝のにらそばだ。みょうがも刻んだ。ネギもきざんですきなだけ入れた。そばはいい。茹でたら食べられる。