漆の立場から

日本で漆器に使用される漆はほとんどが外国産です。安いからというのもあるけど、国産漆にはそれより緊急の用途があり、ほとんどそっちにまわる。ここでいうほとんどは九割(これもアバウトだけど)という意味で、国産の漆のほとんどは岩手産で、岩手には浄法寺をはじめいい漆器があるんだけれども、浄法寺の作り手でも浄法寺漆を使ったことがない人もいる。緊急の用途というのは日本の歴史的建築物の修復である。

こういう建物に塗料として使われているのが漆であるため、修復にも漆が必要なんですよ。輸入漆は江戸時代からあったんだけど、修復に外国産漆を使うとどうもうまくなく、クラックがはいるので(国産漆がすばらしく上質だからではなく単に下に塗られた漆と上塗りした漆の成分上のケンカであろう。漆は産地で成分がかなり変わる)結局は国産に戻ったのだと、二戸市第三セクター滴生社の人から聞いた。だから国産漆には半永久的に用途があるんです。こういう建物の修復はひとつやるのに何年とかけて、そのつぎはこれ、そのつぎはこれ、で、そのうちまたこっちがいたんでくるから・・・って結構先々まで予約いっぱいなんだって。これは漆の生産者側にはいいことですよね。国が固定客。

で、それはいったんおきまして、東日本大震災のあと、私は漆器は不可逆的なダメージを受けたと思った。漆器屋の売り子として、それまで漆は安全なナチュラルラッカーであると、日本の漆は精製過程が厳密に管理されており、また日本の気候風土で育った漆で作った製品は、日本で使う分には一番長持ちします、安心しておすすめできます、ということが出来たのである。で、意識的に国産漆使ってるメーカーは芸術性も高いです。そういう漆器を買ってもらえると本当に嬉しかった。「ほんとにいいものです。よいお買い物ですよ。」って心から言えました。

それが、あの事故以後、その安心・安全という根本の部分に、漆は天然のものであるだけに放射性物質が含まれてはいないか、という疑念が消費者につきまとうようになり、国内消費者からずいぶん問い合わせを受けた(しかし、なんか私は集中して聞かれたようだ。他のスタッフからはそんな問い合わせ一度もないと聞かされた。なんでやねん)。その大部分は真摯な質問ではなく東北いじめとでもいうべき内容だった。だいたいの人は、何も言わず、そっと東北産の商品を避けるのである。そういう人は目に付かない。目に付くのは「意識して東北ディスってます」という人と「応援します!」という人だ。数としては「応援します!」という人のほうがずっと多かったことも書いておきたい。で、まあそういう人たちも「放射能なんて問題じゃないぜイエー」という人と「問題だけど、助けあわなきゃ」という人に分かれるのだが。

海外観光客は、買うもなにもまず東京からいなくなったが、その後数ヶ月たたずに戻ってきた。そもそも漆器屋に入る人は「日本のものなんて放射能恐くって」という人たちではなく「日本大好きいいいい!」という人たちだから、安全性についてしつこく聞かれるとかいうことはなく、対外国人の売り上げも私の感覚ではすごく落ち込んではいないと思う。ま、入り客全体は減ったけど、これはうちの店がもう旬じゃなくなったからじゃないかな。

えーとまるでリアルタイムの報告のようですが、私は丁度1年前にこの店をやめてるので、そのときまでの感想なんですけどね。

山林植物である漆に海沿いの原発の影響がただちに出るわけではないし、あの時点で精製された漆のストックは問題ないものだし、そして事故から3年、意地の悪い人たちが言い続けたような、福島で死者が増えるとか中絶・流産が増えるとかそんなことは起きてない。漆についても、精製された時点の漆液にどれだけ含まれているかは、客観的な評価が必要であり、メンタルなショックと悲観はいったんおかなくてはならない。残念ながら製品としての漆液の放射性物質含有について、資料が今ないが、あんまり悲観すんのやめようと最近は思ってる。

漆はあの時点ですでに斜陽の産業だった。後継者はおらず、技術習得は難しくせまき門で、かつ消費者の分母は少ない。何より漆を育てる人、漆をとる人が、もうほんとに高齢化してて、ぎりぎりである。
希望は海外進出だった。漆器作家の中にはニューヨークが主な市場という人もいるが、しかしこのように自分の作品を売る場を広げられる人は少ない。
それでも私の勤務していた漆器店には連日世界各地からの観光客が日本の漆器を求めにきたし、安心・安全・ナチュラルな塗料、そしてその芸術性には未来があると思っていた。でも、その安心・安全という前提が・・・。ここで私は何度でも振り出しに戻るのである。ノー安心、ノー安全の前では芸術性なんてふっとんじゃうよな、と。

安全であるとしても、人はマイナスイメージがあったら使いたがらない。安心と安全は別である。まして口に入るものには。「安全だからだいじょうぶ」と繰り返すだけじゃなく、安全をこれでもかと推し進める姿勢がないと共感は得られない。「ここまで配慮してるんなら、信頼する」ってところまでいかないと。これはもう漆器屋の店頭で売り子が出来ることの範囲を超えてる。
安全であるとしても、だからといって原発を今後増やしていいとは思わない。あくまでも漆器屋としては、再稼動もどうかと思う。お立場がいろいろなのはわかってます。
でも、未来は明るい、明るくなくても、暗くはない、そう思わないと働けないよ。あのとき、マンション一歩でたら、どんだけ放射能浴びてるんだろう・・・って思いながら、ギリギリの選択で出勤してたんです・・・。またここでメンタルな話題になってきちゃうんだけど、東京でもそうだったのに東北ではどんだけか、「また原発やるのか。俺たちが育ててる漆のことなんて、政府はどうでもいいんだな。ていうか山んなかで外気にさらされて働いてるんだけど。」って漆の人たちが思ってるかどうかは聞いたことないのでわからないけど、私だったらそう思っちゃうよ。ていうか日本大好きな人が漆を無視するのはなんかエセだなと思ってしまうのは漆器マニアの偏見でしょうか。

で、ここでやっと最初の話題にリンクするんですが、日本の漆の主な使い道は歴史的建築物の修復なんです。日本の漆の信頼度は「俺漆器とか遣わないし」ですむことじゃない。日本中の歴史的遺産に関わること、ひいてはこれからの観光業に大きく関わるんですよ。勿論、知らせなかったらみんな知らないで終わると思う。でもそれって、あまりに誇りと誠意がないんじゃありませんか?私は薄ら寒い思いを払拭しきれません。考えすぎかもしれないけど。
「表面に塗るくらいでしょ。それにそこに住むわけじゃないでしょ。だいじょうぶだよー。」って、言っちゃっていいの?

関係ないけど、和風総本家津軽から有田まで「日本」でまとめんのやめれ。