気付きすぎる男

最近思うんだけど、注意欠陥(ADD)というのは、注意力が足りないのではなくありすぎるのではないのか。
昔「世にも奇妙な物語」で「速い男」という一話があったんですよね。スピードを追い求めるボクサーの青年が、やがて食べるにしても走るにしてもすべて人の何十倍もの速さで処理するようになり、徐々に他の人間と一緒に暮らせなくなっていって、ついには自分一人の時間軸で生きながら、かつて親しかった人々を見守る存在になるという。

ここまで極端ではないけど、注意欠陥の特徴のある子って、いつもきょろきょろしてて「あれ何?これ何?」って感じで、まあいわゆる「落ち着きがない」「集中してない」状態なんだけど、注意力が人よりありすぎて次々に色んなものに注目しているうちに何に注目しているかががどんどんずれていって、定期的に臨界を超える現象なんではないかと思うのだ。マントルが徐々にずれて閾値を超えると地震が起きるのとも似てる。

だからといって他に生きていく世界はないし、結局は社会的動物であることからは逃げられない。速い男のように仙人のような生活ができるわけでもないし(おそらく速い男はかっぱらいとか食い逃げとかしながら生きてる。人の目にとまらないから裸かもしれない)、君の注意力の速度を周囲にあわせてアジャストせねばならんねん。一種の擬態だよな。どうすれば、効果的な擬態を教えられるかが教育のような気がしている。私は擬態を覚えるまでが長かったので、正直、まだ人生始まって13年だと思ってますよ。余命があと30年くらい。そう思えば長過ぎなくていい人生かもしれない。私の世代で自力で擬態を覚えなければならなかった人は多かったと思う。かといって、支援の手があるからといって今の子の方が効率よく擬態にたどり着いているかというと、どうもそうは見えないんだよな。本当はそうじゃないとおかしいんだけど。