特別支援教育はどう変わったか

この数十年で、確実に学校が成し遂げたものの一つに、特別支援教育の充実がある。

昭和60年当時は明らかに知的ハンデのある生徒のみがその対象だった。自閉症ADHDはその概念すら共有されていなかった。専門の教諭も今よりずっと少なく、そういう子どもが入学したら、図書室を半分にするなどして場所を捻出していた(私の観測範囲の話である)。

平成7年にアラスカの中学校を視察する機会があり、そこではじめて、生徒向けの啓蒙パンフレットで、私はADHDという概念に触れた。辞書にもその語が掲載されておらず困惑したのを覚えている。一人の”困った生徒”を一人の(あるいは二人の)スタッフが担当していた。座学を行う教室と、体育的な活動を行う教室が、キッチンでつながっている広々とした特別支援教室があった。キッチンは生活技能訓練のための場所である。それを見たとき、「日本は、絶対にこんな境地に到達できない」と絶望した。

しかし現在、あのレベルにはいまだかなわないものの、特別支援教育は情緒障害(自閉、HS、アスペルガーや広範性発達障害ADHDその他)にもその対象を広げ、3~4人に一人の担当がついている。ケアも手厚くなった。現場に復帰して驚いたことの一つである。スタッフの専門性にはまだ課題がある。特別支援教育を専門に学んできた人は少なく、大体みんな、経験則で日々のあれこれに対応している。

また、小学校における特別支援教育と、中学校における特別支援教育の断絶もまた課題である。小学校では集団の中で仲良くやれていればそれでよしとするように見える。中学校では「どの高校にどう進むのか」を考えて特別支援枠なのかどうかを検討するため、「通常学級で問題ない」として送られてきた生徒を入学後に在籍変更させることもよくある。

教師の出費1 部活とテスト採点

<部活>

一日、大会で拘束された場合日当は4~5千円である(時給換算すると700円程)。昼食は出る時と出ない時がある(大会の性質や主催がどこかによる)。毎度、保護者へのお迎えの依頼で生徒に10件程度電話を使わせる。可視化されていない出費の一部である。小さなことだが、練習試合で他校に出向いた時、手土産のドリンク代も持ち出した。

その他、部活の関係だとラケットやシューズ、ノウハウ本を購入した。強制ではないが、だから買わなくていいかというと、実質的にそうではない。主顧問ならだれでも買うだろう。

部活に関する時間外労働がどのくらいあるかは算出しにくい。定時をすぎたものはなんであれ無償労働になるので、部活に関する仕事を時間内におこなえば、それによって押し出された仕事が無償労働になる。ちなみに今週行った部活の仕事は、保護者むけの文書2件、試合のエントリ1件、関連団体への登録業務2件、名簿作成2件、部活スケジュール作成1件(これが実はめんどくさくてじかんがかかる)。

部活終了時間が定時よりあとに設定されている曜日が週に4日あり、時間にして6時間15分(その前後のミーティングは入れていない)、月(4週として)に25時間の無償労働が学校によってすでに設定されている。

 

<テスト>

3時まで授業があって3時半に生徒を返し、部活や生徒会活動を終えてはじめて落ち着いて採点ができる。育児中の人や担任は徹夜している(私はまだ睡眠をとる時間がある)。テストは実施後、〇つけ(つけながら同教科の担当同士で採点基準のすりあわせ)→点数算出→テスト用紙に記入→画像テータ保存→点数の記録→返却→点数に間違いはないか生徒と相互確認→専用データベースに点数を打ち込み→(ここから先は担当部署)一覧にして生徒に配布という流れをとる。これをおよそ4日で行う。

なんでやねん日記

いつのまにか英語がわりと話せるほうの英語の先生になってしまった。もちろん留学経験のある人にはかなわないのだが。

これはとても異常な話で、私は短大しか出てないし、接客現場で英語は使っていたけどそれはそれで、アカデミックな英語ではない。英米文学の体系だった知識もない。まわりの四大を出た人たちよりも話せることがおかしい。日本の高等教育とはなんなのかとも思うし、これがALT(ネイティブの英語講師)を学校に導入して30年経過した、日本の英語教育のまぎれもない”結果”なのだと思うとむなしいばかりである。

私はある町のALT導入初年度に採用された。反対派のすさまじい虐めに合いながら手探りで7年授業し、そして現場を離れて3年前に再度採用試験を通過して復帰した。

その間およそ20年、現場の教師にとって研鑽の時間は十分にあったはずだ。ALTと触れ合いながら育ってきた生徒にとっては、英語教師を目指すなら、外国人と仕事するのが当たり前ということはわかっていたはずだ。しかし実際には、令和になってもなお私より若い教師がALTと組んで行う授業を忌避することがそれなりにある。

私自身は、学歴が低いこともあり英語の先生の中で会話力が一番下という意識をずっと持っていたので、英会話教室に通ったり映画の字幕をすべてリピートしてみたり漫画の英訳を読んだり思いつくことをとにかくずっとやっていたのだけれども、ある日「せっかくこれだけ話せる人なんだから…(あとのセリフは忘れた)」と言われて驚いた。だってみんなもっと話せるでしょう?と思っていたので。それにみんな英語を話さないからそもそもわからないし。

実際には、年配の人も若い人も、集中的な会話の訓練を経た人、継続した努力をしてきた人でないかぎり難しいのだということがわかってきた。教員採用試験には会話の技能テストもあるけれども(英検二級の方式で、準一級程度の内容)、それではスクリーニングできていないのだろう。で、で、ですよ。英語が話せない英語教師、の、中の、体育会系のオラオラした奴らが明らかに英語教育をダメにしてる。間違いない。あいつら自分が嫌なもんだから会話系の授業避ける方避ける方に逃げてまわりもそれに付き合わざるを得ないようにもってくし。ごちゃごちゃ理屈こねるし。雄々しい男が一番女々しいわ。

それはそれとしてそれ以上に私がうんざりしているのが、管理職がALTにあいさつしないことだ。廊下ですれ違ってもハローが言えない。バカじゃないの。学校を代表する立場だよ?もういっそ日本語でもいいよ。目をそらしてシカトしながら歩いて通り過ぎるなよ。

今の管理職は私と同世代かむしろ若いくらいなので、これもまた日本のネイティブ導入英語教育30年の成果である。ハローが言えない管理職が育ちました、以上!てなもんだ。もうやめたらいい。実験は終わった。

コロナウイルス関係のあれこれも収束せず、母国から離れて働くALTの健康を守れないばかりかあいさつもできない。もうこれ以上彼らを日本にとどめる理由は何もない。もういい。もう終わった。終わりなんだよ。

とにもかくにも思うのは、目を見てハローを言える、これだけは身につけさせたいということだ。日本語でこんにちはだっていいんだ。黙って通り過ぎる大人にだけはなってくれるな。今の時代ポケトークとかがあるから話せないのは最悪もう別にいいから。ただポケトーク作るような業界にも人材送りこまなあかんから私は教えるけども。

なんてことを思っていたら、用務員さんがALTとスマホの写真見せあいながら談笑してた。あと若い体育の(!)先生もスポーツの話で意気投合してたな。やっぱ英語力とは別に、変なプライドがないこととか、こうしたら通じたっていう成功体験とかなのかもしれない。

しかしそれが日本全国でALTを危険にさらすことと今現在の日本人の英語力が釣り合っているかという評価とはまた別の話で、私はやっぱり人道的によろしくない事態であると思っている。30年続いた事業だが、見直すべきだし、近いうちにそうなるだろう。ALTの給与の問題もある。彼らは相当な高給取りだ(能力と釣り合わないことも多い)。日本に彼らを抱え続けることがあと何年出来るか、時間の問題だ。

私はひとつの巨大な教育プログラムの夜明けから日暮れまでを見届けることになるのだろう。そして、それはこの国の終焉の一幕でもあるに違いないのだと思っている。

映画を見ること

ぱせよさんが映画の感想を「あまり口にしない」と呟いていてそれでふと思い出したんだけど、ずっと前、あるブログで読んだある映画の感想がすごく印象的で見たくてたまらなくなって、そしてあの時、私は先代猫の介護をしていて、午前は地元の小学校で働き、午後からは自営の塾を開け、その合間に猫の介護をするという(そして持病の最初の兆候も出ていて、痛みに耐えながら生きていた)すさまじく忙しくそして貧しい生活で、映画館のある1時間も離れた土地で3時間も過ごすなんてことができるわけもなく、あまりの惨めさにわが身を呪ったのだ。

猫が死んでほどなくその映画がレンタルショップに出回って、新作のうちに借りてきてみたらまるで好みでなくて、私の心はこんな映画のためにこの世でたった一匹の猫をたとえ一時でも見放したのかと、もう一生誰にも許されないような気持になった。その映画の出来がどうという話ではないし感想を述べることがどうという話でもない。

死に向かうものを看取ることはたとえそれが猫でも苦しいし、貧しいこと、痛みを抱えて生きることもまた苦しい。希望がないことはさらに苦しい。映画は人の生き死にに直結しないかもしれないが、それを見る自由のないことが時として人を打ちのめすこともある。いつかその自由を再び得られると知っていても、それはこの猫が死んだ時なのだと思うと恐ろしかった。

私の猫は私に見放されたゆえに、死んだあともどこにも行けずに、あの寒い冬の夕方を今もずっとさまよっているのだと思うし、最後にかいだ自分の吐しゃ物のにおいを今もかいでいるだろう。何故すべてを投げうって最後のたとえ数時間でもそばですごしてやれなかったのか、私は私を一生許さないし、あの映画も二度と見ない。

楽しそうだな、と思った世界は、覗いてみたら全然違った。蛇に誘惑されたイブも同じことを思っただろう。私は誘惑には負けなかったが、誘惑された事実は残り、最も大事なものを私は失い、私自身の価値もまた失われた。これはただそれだけの話だ。

いろはす飲んでますよ

正確にはい・ろ・は・すですね(めんどくせえ)。いろはすさくらんぼ、さくらんぼというよりプラムじゃないですか。いやプラム好きだけど、さくらんぼではないよね。美味しいけど、一回飲んだらあとは手が出ない。ブルーベリーはまだ飲んでないけど見かけるたび義務感にかられて「次ね、次」って、別にいいのに言い訳している。やはりいろはすとまとに並ぶものはなかなかないな。

今日は一年一緒に働いたALTガールとランチして一緒にカルディ行って楽しかった。ほんとは猫カフェにトライする予定だったんだけど、臨時休業してたのでプランBに切り替えて遊んできたのだ。ゴシップてんこもり。いいねーゴシップ。あとカルディって外国の人と一緒に行くとめちゃ楽しいな!?「これよさそう!」「Amazonの方が安い!」「これ美味しかった!」「マジ?買うわ!」みたいな感じで二人とも早口でベラベラしゃべってちょっとキモオタみたいだった。カルディの通路が広くなったって聞いてたけど、マジ広くなってたさ。レジのお姉さんに「Twitterで通路広くなったって聞いたんですよ」って言ったら「努力してます!」って笑顔で言われたよ。Twitterで「あの狭さは商業的戦略だ!!!」ってぎゃーぎゃー言ってた人は何者だったの?とりあえず大ッ好きな紙パック入り杏仁豆腐とオリーブオイルとでかいパルミジャーノ買ってきた。明日の夜はバター、チーズ、卵でつくるデイリーファームパスタにするんだ。

えらいこっちゃになりながらも

 実はイタリア人とヤヤコシく(サラ・イネス先生いうところのいわゆる”エエ仲”である)なっている。古くから私の人生を定点観測していた向きには意外であろうが、外国人と付き合ったことがなかったんだよな。今まで、誕生日について「日本人なら数え年だろう!いちいち浮かれるんじゃねえ!」という態度をとってきたのだが、イタリア人が2日にわたっておめでとうを言ってくれたり、シンガポール人が海を越えておめでとう画像を届けてくれたり、生徒がわざわざでかでかと私の年齢を書きこんだカードをくれたり(かわいいじゃないの)、Twitterでみんなおめでとうって言ってくれたりですっかり楽しくなったので、今後は積極的に誕生日アピっていく所存である。そして人生4人目の同じ誕生日のリアル知人を見つけた(間接的な知り合いを含めると10人くらいになる)。なんでそんなに多いんだ。それはそうと誕生日に日本人と別れたりもしているのだが、それはもうどうでもいい。なんだお前。「覚えておくね!」とか言いながらケロっと忘れやがって。気づいても謝ろうとしないし誤魔化そうとするし挙句の果てには「また会いたい。手料理食べたい」って、心底うんざりした。そこは「お詫びにディナー奢らせて!」とかだろう。バカだね。あたしを大事にするならあたしだってあんたを大事にしたのに。

とはいえその日は本当に悲しくてやりきれなくて、友達に心情を吐露したら「お嘆きなさい。そんな日もある。今あなたのためにクグロフを焼いているから」と言ってくれた(その後ほんとに送ってくれた)。40過ぎてっていうか50も近くなってこんな友達が出来たりもする。

病気のほうは思わしくない。調べたら、人体の骨以外の部分が骨になる「骨化」はそこそこ見られる現象のようである。それがどの部位に発生するかでいろいろなのだが、頚椎の後ろを走る後縦靭帯が骨になる後縦靭帯骨化、これが重病扱いで(なんでかはしらん)、一言でいうとあらゆる痛みが時間差で同一もしくは近い部位に発生する病気なのだ。つねられるような痛みとか、しびれるような痛みとか刺すような痛みとか。痛みが皮膚の下で動くし、LED装飾電球みたいに明滅する。昔の人なら呪いって言ったと思う。しかも50%の確率で手術が失敗し、失敗した場合、原因不明の新たな痛みが背部全体に発生して原因不明なので対処法がない。やっぱり呪いである。声帯の近くを切るので声を失う可能性もある。やっぱり呪いである。そうなる前になるべくイチャイチャしておきたい。病苦を越えられるほどの関係だともちょっと思えないし、そこまでつき合わせる気もないし。

実家にはあまり帰れてなくて、どんどん父と暮らす時間が削られて、そして猫は完全に私を忘れてしまった。ワクチンは今年中は無理だろう。

書けるうちは地獄ではない

不幸続きのこの2年なのだが、それでも書けることであるうちはよかった。その後もはやここで書けないことが発生してえらいこっちゃになっている。

秋口はしばらく地元のホテルに宿泊していた。家には包丁も致死量の薬もあるので。もう郷里に帰りたいんだけど、県教委もなかなかしっちゃかめっちゃかなようで、今年は人事の動きがことさらに遅い。遅いように見えて実は校長レベルでアナウンスを止めてるのかもしれない。「あなたみたいな人はいっぱいいるから」とか「人事の季節になるとみんな病人になるんだよね」とか「やめたら?」とか言われている。人手不足で雇ってみたけど指定難病なんかになられて迷惑だから自主退職させたいのが本音じゃないのかな。

それはそうとワクチン接種が始まったけれど、何?日本って効き目の薄いアストラゼネカのワクチン押しつけられてるの?55歳以上には効果が薄く、変異株にも対応できず、フランスもドイツもイギリスも避け始めたアストラゼネカのワクチンを?つーかファイザーだったら接種一回?は?バカじゃねえのもう。

ワクチン接種が始まってもなお絶望の深い国であることよ。こんな国にどこのアスリートをどう呼ぶんだ?開催期間中に地震が来て、大規模停電が発生したら外国人をどこに避難させ、同時に日本人の安全を確保するのか?世界有数の劣悪な避難所の環境で感染の危険をどう回避するのか?その時原発はどうなっているのか?誰もがそれを気にしないはずと思えるその強靭な鈍さっていったい何なんだろう。本当に何故こんな国で五輪を開催出来ると思うのか。苦しくてつらくて苦しい。