なんでやねん日記

いつのまにか英語がわりと話せるほうの英語の先生になってしまった。もちろん留学経験のある人にはかなわないのだが。

これはとても異常な話で、私は短大しか出てないし、接客現場で英語は使っていたけどそれはそれで、アカデミックな英語ではない。英米文学の体系だった知識もない。まわりの四大を出た人たちよりも話せることがおかしい。日本の高等教育とはなんなのかとも思うし、これがALT(ネイティブの英語講師)を学校に導入して30年経過した、日本の英語教育のまぎれもない”結果”なのだと思うとむなしいばかりである。

私はある町のALT導入初年度に採用された。反対派のすさまじい虐めに合いながら手探りで7年授業し、そして現場を離れて3年前に再度採用試験を通過して復帰した。

その間およそ20年、現場の教師にとって研鑽の時間は十分にあったはずだ。ALTと触れ合いながら育ってきた生徒にとっては、英語教師を目指すなら、外国人と仕事するのが当たり前ということはわかっていたはずだ。しかし実際には、令和になってもなお私より若い教師がALTと組んで行う授業を忌避することがそれなりにある。

私自身は、学歴が低いこともあり英語の先生の中で会話力が一番下という意識をずっと持っていたので、英会話教室に通ったり映画の字幕をすべてリピートしてみたり漫画の英訳を読んだり思いつくことをとにかくずっとやっていたのだけれども、ある日「せっかくこれだけ話せる人なんだから…(あとのセリフは忘れた)」と言われて驚いた。だってみんなもっと話せるでしょう?と思っていたので。それにみんな英語を話さないからそもそもわからないし。

実際には、年配の人も若い人も、集中的な会話の訓練を経た人、継続した努力をしてきた人でないかぎり難しいのだということがわかってきた。教員採用試験には会話の技能テストもあるけれども(英検二級の方式で、準一級程度の内容)、それではスクリーニングできていないのだろう。で、で、ですよ。英語が話せない英語教師、の、中の、体育会系のオラオラした奴らが明らかに英語教育をダメにしてる。間違いない。あいつら自分が嫌なもんだから会話系の授業避ける方避ける方に逃げてまわりもそれに付き合わざるを得ないようにもってくし。ごちゃごちゃ理屈こねるし。雄々しい男が一番女々しいわ。

それはそれとしてそれ以上に私がうんざりしているのが、管理職がALTにあいさつしないことだ。廊下ですれ違ってもハローが言えない。バカじゃないの。学校を代表する立場だよ?もういっそ日本語でもいいよ。目をそらしてシカトしながら歩いて通り過ぎるなよ。

今の管理職は私と同世代かむしろ若いくらいなので、これもまた日本のネイティブ導入英語教育30年の成果である。ハローが言えない管理職が育ちました、以上!てなもんだ。もうやめたらいい。実験は終わった。

コロナウイルス関係のあれこれも収束せず、母国から離れて働くALTの健康を守れないばかりかあいさつもできない。もうこれ以上彼らを日本にとどめる理由は何もない。もういい。もう終わった。終わりなんだよ。

とにもかくにも思うのは、目を見てハローを言える、これだけは身につけさせたいということだ。日本語でこんにちはだっていいんだ。黙って通り過ぎる大人にだけはなってくれるな。今の時代ポケトークとかがあるから話せないのは最悪もう別にいいから。ただポケトーク作るような業界にも人材送りこまなあかんから私は教えるけども。

なんてことを思っていたら、用務員さんがALTとスマホの写真見せあいながら談笑してた。あと若い体育の(!)先生もスポーツの話で意気投合してたな。やっぱ英語力とは別に、変なプライドがないこととか、こうしたら通じたっていう成功体験とかなのかもしれない。

しかしそれが日本全国でALTを危険にさらすことと今現在の日本人の英語力が釣り合っているかという評価とはまた別の話で、私はやっぱり人道的によろしくない事態であると思っている。30年続いた事業だが、見直すべきだし、近いうちにそうなるだろう。ALTの給与の問題もある。彼らは相当な高給取りだ(能力と釣り合わないことも多い)。日本に彼らを抱え続けることがあと何年出来るか、時間の問題だ。

私はひとつの巨大な教育プログラムの夜明けから日暮れまでを見届けることになるのだろう。そして、それはこの国の終焉の一幕でもあるに違いないのだと思っている。