特別支援教育はどう変わったか

この数十年で、確実に学校が成し遂げたものの一つに、特別支援教育の充実がある。

昭和60年当時は明らかに知的ハンデのある生徒のみがその対象だった。自閉症ADHDはその概念すら共有されていなかった。専門の教諭も今よりずっと少なく、そういう子どもが入学したら、図書室を半分にするなどして場所を捻出していた(私の観測範囲の話である)。

平成7年にアラスカの中学校を視察する機会があり、そこではじめて、生徒向けの啓蒙パンフレットで、私はADHDという概念に触れた。辞書にもその語が掲載されておらず困惑したのを覚えている。一人の”困った生徒”を一人の(あるいは二人の)スタッフが担当していた。座学を行う教室と、体育的な活動を行う教室が、キッチンでつながっている広々とした特別支援教室があった。キッチンは生活技能訓練のための場所である。それを見たとき、「日本は、絶対にこんな境地に到達できない」と絶望した。

しかし現在、あのレベルにはいまだかなわないものの、特別支援教育は情緒障害(自閉、HS、アスペルガーや広範性発達障害ADHDその他)にもその対象を広げ、3~4人に一人の担当がついている。ケアも手厚くなった。現場に復帰して驚いたことの一つである。スタッフの専門性にはまだ課題がある。特別支援教育を専門に学んできた人は少なく、大体みんな、経験則で日々のあれこれに対応している。

また、小学校における特別支援教育と、中学校における特別支援教育の断絶もまた課題である。小学校では集団の中で仲良くやれていればそれでよしとするように見える。中学校では「どの高校にどう進むのか」を考えて特別支援枠なのかどうかを検討するため、「通常学級で問題ない」として送られてきた生徒を入学後に在籍変更させることもよくある。