ヘイト福島な人たち

地震からこっちの約1年半の間に「福島産以外のものをくれ」という声に数件あたりまして、少ないながらにいるんだな〜そういう人って、とぼんやり思ってたのですが、ほかのスタッフに聞いたら「そんなのあるの!?」と軒並み言われたですよ。なんだこのギャップ。

自分がいかに福島に対し危機感を募らせているかを表明したくてしかたがない人たちがいる。私はそういう人たちに「この人になら言ってもかまわない」と選ばれているのだ、ということだと思うんですよね。これをどう解釈したらよいのでしょうか。

私が福島出身だったらどうするんでしょうか。どうもしないですね。ただの販売員にどんな出自があったって、どうでもいいことですよね。私は福島出身ではないですが、父方の祖父は会津指物師だった。話はそれますが、祖父の作った箪笥とか、親戚みんなひとつは持っていて、祖父の死後40年以上経た今も現役で使われています。話を戻すと、だからといって福島産の商品に肩入れするとかはぜんぜんないです。平等に他の産地の品と同じに扱ってます。しかしこういう声にあたるうちに、もう少し推そうかな、という気になってきた。うちには本当に被災地の出身の子もいるので、こういう声にあたったのが「私でよかった」と思うべきなのだろうか。

福島産の品を避けるのも選ぶのも自由だし、福島以外のものが欲しいと思うのも自由です。そこに私は口出ししません。しかし、私に対しわざわざそういうことを言ってきた人たちは、やっぱり「わざわざ言いたかった」のであって・・・。

そういうせりふを客と販売員という緊張した状況、関係において、販売員に対し(その販売員の人格を無視して)言ってくる人がいるということはどうにもならない。しかし、私はそういう人にそういうことを言わせる何かがあるのかもしれないな、と思った次第です。
最近は布教の方もお見えになり、ええと、布教は宗教の宿命ですから別にいいと思います。でも、なんで私なのかしら?はい、資料は頂いておきます。