えー

なんとなく諦めきれず、古い安い方(一度切り捨てた方)のアパートを夜9時半ごろ見に行ってまいりました。
そしたらなんと、1階の人がドアを開け放しているではないの。
覗くと猫がカリカリを食べていた。私を見てひるむでもなく、ゆうゆうと食べ続けている。
勇気を出してチャイムを押すが、鳴らない。声をかけると中から40代なかばくらいの女性が出てきた。
「夜分すみません、今度2階に越してこようか考えているのですが、色々悩んでいるんです。住んでる方にお話を伺えればと・・・」と正直に伝え、5分ほど話した。考えたら不審者きわまりない行為だ。
その間に猫はゆったりと夜の散歩に出かけて行った。
「防犯は特に意識したことないですねえ。もう10年住んでる。でも外に干すものは気をつけてる」とのことでした。

そしてアパートの隣のラーメン屋へ。
「ここの餃子がまずかったら、やめよう」と思い餃子とビールを注文。
ほどなくして、うまくもまずくもなくいたって普通でちょっとコゲぎみの餃子が出てきた。おっちゃん、おばちゃんと色々話しこみ(町内会に入りたいんですとかなんとか)、なんかすっかりいい気分になってしまった。
ここに越すかもしれない。

人の輪の中で生きることにうんざりして出てきたはずなのだが、今は戻りたいのだ。町内会のお祭りの実行委員会とか葬儀の受付とかをやりたいのだ。葬儀の受付、私プロなみですよ。
「もともと北海道でそういう立場だったのだけど、こっちにお嫁に来てからマンション住まいでそういう機会がなくなった。高齢化で人手がないなら喜んでやります」と言うと、まあ、客だからかもしれんけど向こうも「そういう人はいまどき貴重だわ〜」と言ってくれて気分がよかったのだ。実際は新しい就業先のOJTで多忙をきわめている可能性も高いのだが。

可能性。
私は、あきらめさえしなければ腕のいい教師になれたかもしれない。
どこかで自分の適性にもっと早く気付いていれば、去年の夏、失職することもなかったかもしれない。
偶然、キャリアカウンセリングで検索しなければ、東京しごとセンターの存在も知らず、ネクストジョブセミナーを受けることもなかったかもしれない。
あのままだったら、今頃私は死んでいるかもしれなかった。
あるいは生活保護を受けているかもしれなかった。
来月の今ごろ、私はクビになってるかもしれない。
猫が病気になってるかもしれない。
ガン検診で何か見つかるかもしれない。
でも、可能性ってそういうものだし、それが可能性というものなのだと思う。

ビールでふわふわしつつ家に帰ると、なくして諦めていた住所録が見つかった。本棚のビスがひとつ抜けていた(こういうの、ものすごく絶望する)が、捜したらすぐ見つかった。ラッキーだ。今年の私はついているかもしれない。初ロトで1000円、スクラッチで100円あたったし(それ以後やってない)。

一度決めた物件を捨ててここに越すかもしれない。
paseyoさんすみません。
本、近々送ります(こればっか)。