サムライトルーパーの頃

私には死んだ3人の兄がいて、どういう死に方かは書きたくない。
私が生まれた時、すでに彼らはいなかった。そういう存在があったことを知ったのが12歳の時で、私はそこから二十歳くらいまで、ずっと、私が死んだらきっと彼らがよみがえるので死ななければならない、でも、もしかしたら違うかもしれない。私は彼らの死の上に生きているのだから、私が生まれたことで彼らが死んだのと同じことで、なんらかの確実な手段で、対価として私が死ねば彼らが生きていた世界が「戻る」、その手段をさぐらねばならないと思っていた。
そんなことを考えていたら、ある日、「兄について毎日考えていた」という無機質な記憶だけが残って、エモーショナルな記憶がすべて消えていた。考えていたことは覚えている。悩みぬいたことも覚えている。けれどそこに付随した感情がすべて消えてしまった。

それがちょうど、私があれ(作品名タイピングするのも抵抗あるのでもう二階堂のネズミ方式で)にジャック・マイヨールよりも深くはまりこんでいた時と一致する。一時期はサブタイごとに作監と脚本家全員言えたさ。
何故忘れていたんだ。関係ないわけがない。多分これが私の地獄の釜の蓋だと思う。

兄について悩んだ時期があったことはずっと覚えていたし、語るほどの事でもないから別に話題にもしなかった。何より、この話をするとだいたいみんな何かを言いたがるのだけれど、10年も考えている私に今更新しい視点をもたらす人なんかいなかったし、そもそも求めてない。
それでも短大を卒業するころまでは積極的に話していた。そうすることで、兄がいたことを残さなくてはならないと思ったから。だけど、私が4人目だと知ると「お父さん頑張ったねえ」とか下品で身も蓋もないこと言われたりするのでもういやになってやめた。汚されるくらいなら知ってもらわなくていい。私にとっては生きるべきか死ぬべきかそれが疑問だという話なのにそんな文脈でとらえられたくない。

私がそんな風に思いつめたのは、私が生来真面目だったこともあるけど、やはり「3人もちゃんといたら、やっぱり(4人目は)産まなかったかもしれない」という母の言葉だと思う。その言葉自体は女性のごく一般的な本音だし理解できる。けれどそれ以前に、膨大な有形無形のプレッシャーが、私の家の真ん中にあった。その総体が血肉を得て人の形をしたもの、それが母だ。
私は自分を死んだ方がましな無価値な人間だと思っていたし、それに自分の性が嫌いだった。ずっと男の子になりたかった。アニメの中だけにユートピアがあった。中でも、あれがすごくすごく特別だった。何故なのかわからない。だけど、あれがなんらかの生きづらさを抱えた(その内容は様々だけど)女子にとって、本当に特別だったことは間違いない。

寺山修司の言うには馬琴が八犬伝を書いた背景には、社会に真っ向立ち向かう度胸のない小心な男のユートピア思想があったという。信用していいのかわからないけど、そこから100年以上を経て現代ナイズされた八犬伝の中に私たちのユートピアがあったのは確か。あれがもし原作付きだったら、私たちの熱は原作者と原作へきっと向かっていた。でもなかったから、私たちの熱はそのまま「中の人」である声優たちへ向かい、ごく普通の(多分)一般的な感覚を持った男性である彼らに私たちは異様なものとして映ったであろう。主人公役の草尾毅が「お前らなんか違うぞ」と言っていたのを覚えてる。その通りだ。でも、「違う」のは私たちだけじゃなく、私たち以前のなんかだったんだよ。

私たちはあの時、大人たちから、あるいはともすれば同世代のアニメファンからも「当節のオンナノコの頭の中は謎ですなw」と失笑されておわった。そう思ってる。そしてアニメ関係のビジネスからは「とりあえず売れるからいいや」とみなされた。そんなふうにすまされた。

あの頃あの熱狂をそんなふうにしかとらえないで、その根っこをまるっと見落としやがった、あんたたちをあたしはあの頃から許してないし、ずっと許さない。その怒りがずっとずっと続いてる、それはきっとあたしだけじゃないはずだ。許さないと言われても困るだろうけど、別にいい。私が許さないだけだ。

勿論みんながみんなそんな闇っぽい病巣かかえてたわけじゃない。だけど、誰かおかしいと思ってよ。あんなの異常だよ。異常な熱狂のかげに何があるか、誰か気づいてもよかったじゃん。今の60代ってビートルズ世代で、「ロックを聞いたら不良になる」とか言われたわけでしょ。そりゃあの4人は破格にかっこよかったろうさ。その熱狂の根っこには、ほんとに「何も」なかったの?

ふざけんな。