私の時代にはそんなものなかったんじゃないかしら
一度手にしてしまうと、まずめったなことでは見ることないもの、それが資格取得の免状ではないだろうか。それともみんなちゃんと管理してるの?
私はアロマテラピーもカラーコーディネートも漢検も英検ももってるけど、なにひとつ手元にないっす。ていうか、教員免許状ないです。今回の仕事に必要なんだけど、正直以前勤務していたとき、目にした記憶がない。いらないもん。提示しろって言われることもないし。
「複数回に及ぶ引越しで紛失した」と説明はしたけど「私の時代にはなかったんじゃないか?いや短大出るとき、申請書記入でえらい大変なめにあったのは覚えてるぞ」・・・などと思いながら再交付&紛失届フォーマットをダウンロードしたら、戸籍抄本つけろという。・・・。
私はー二度本籍変わっててー、離婚して名前戻さなかったしー、これだけじゃ本人確認なんないんすけどおー。
そもそも原本がないから悪いのだが、じゃあ謄本もつけてやれ、と思ったら、謄本と抄本の本籍が微妙に違うでやんの。謄本の戸籍は昭和40年代のもので、現在とは番地が違う。父自身知らなかった(というか忘れている)。長期在住世帯にありがちな現象なのだそうだ。それもどうなんだろうか。
加えて、私が父と違う姓で父と同居するにあたり戸籍を現住所にしたのが去年。私は父の戸籍に入れないので一人戸籍となる。謄本に記載されたAヘデクが、抄本のBヘデクと同一であるかどうか、よくよく読み込めば推測できるがよくよく見ないとわからない。
結婚した土地の役場から書類を取り寄せないとダメか?めんどくさいなーなんとかこの書類でいけないかなーと思いながら卒業年度を正確に調べようと卒アル見てたら免許状出てきた。そうだ!卒業と同時にもらったものだから、ここに入れておこう、ってことにしてたんだよ!そうだ!この7,8年思い出しもしなかったけど!
ああやれやれ。これでこの免許状のコピーと、むかしの勤務市町村から履歴証明とるだけですむぞ。それとは別に書き換えしないといけないけど。それにしても、国民を土地と家長で管理するのは本当に大変なことではないですか。さくっと背番号制ではなぜだめなのか。家族としての一体感とかいう理屈が昔あったが、そうではなくこのやり方を維持するために今まで作り上げた周辺システムと、そのためのお金の流れをいまさら変えると誰かが損をするからじゃないのかね。
免許とか資格とかそういうのってとっとかなきゃダメなんだなあとつくづく思った。あとなるべく離婚したら名前は戻したほうがいい。ていうか結婚したときに名前を変えなきゃいけないことがそもそもめんどくさい。トラウマになるほどのめんどくささですよ。だから少子化なんじゃないの?そうだよきっと。
そもそも私が名前を戻さなかったのは、離婚した時の役場の説明がよくわかんなかったからだ。名前を戻す→親の戸籍に戻る、だと思って、そんなのほんとにでもどりじゃん、と思ってやめたのだ。やっぱりめんどくさい。