ロストキーショック

正月2日の鍵パクリ事件はその後もじわじわと神経に影響し、一日中動悸をかかえながらなんとか仕事にいって帰って、という松の内

なんせ役場も病院も地域包括うんちゃらも認知症と家族の会のホットラインも全部お休み、かろうじてヘルパー2級の同期が(すごく面倒見のいい人なのだ)立ち上げてくれた同期のライングループや、福祉系に就職した同級生に相談することができて、体験談や、まずどこへ行くべきか、その他の症状など、相談にのってもらった。それでなんとなくわかったのだけど、認知と介護のコンサルタントというのはいないんですね。病院は診断してくれる、でも地域の福祉サービスにコンタクトはしない。包括支援センターは既存のサービスメニューを教えてくれる。でも、認知症発症ぎりぎり手前、予備軍の家族が「今なにをすべきか、してはいけないか」「現状維持はできないのか」などの質問には答えてくれない。あくまで、この先発症したらどうするか家族に決めさせるだけ。福祉施設は預かってくれる。ヘルパーは派遣されてくる。でも、実際にそこで働いた私にはわかるけど、それらの業務には職員の安全上、あるいは利用者の自立度を守るための制限(わかりにくくて基準が不明瞭)がかなりある。何より私は地元の施設が大嫌いである。ロビーには私が大嫌いだった美術教師のへたくそな油画がこれでもかとかけてあり、入浴を拒む利用者に「背中にかわいたうんこがついているから、入らないとダメ」と言って入浴させる(勿論うそだ。ひどいうそだと思う)。あまり希望が見えない。
資金が潤沢ならば、うでのいいドクターに定期的にかかりながら、ダスキンメリーメイドあたりから経験者を呼びたい。窓拭きはできないとか家具移動はできないとか言わないもの。

それでも、相談にのってくれた人たちは「まずはドクターの診断」「まずは包括支援センターに行くこと。ただ、症状が出たときにどうしたいか決めてからいかないといけない」という方針を打ち出してくれた。

だが、いきなり病院には連れて行けない。円滑な診療ができるわけがない。また、包括支援センターは役場の中にあり、入室時に人に見られるとやっかいだ。認知症ときまったわけでもないのに認知症だという噂が広まってしまうかもしれない。在任中の町内会長に対してそういう仕打ちはできれば避けたい。そうなったら自立している健康な高齢者もいっきに本物の病人になるだろう。ここではすべての人が空き地や国道や雑木林、つぶれた店舗によって交流を寸断されて閉じ込められながら暮らしている。間違えている人が多いが、大自然というのは生活をより厳しくするものであり、決して助けてはくれない。

私に必要なのはプロの意見をきくことだ。だがその前にちょっと準備がいる。いざ診療となったときに父を傷つけないようできるだけ家にいて様子を見て、関係を円滑にし、日々の状態を記録し、プライドを傷つけない範囲で適度な頻度で認知症について話題にし、私自身がまず診断をうけ、どういう診療をするか知っておかねばならない。
そして今できる予防策を最大限に講じることだ。
私はこういうことについて、包括的なアドバイスを求めている。この問題のためにあっちへ行き、この問題のためにこっちへ行き・・・ではなくて。いまさらながらハートネット(NHKの介護の番組)も見るようになったけど、こういう問題は東京みたいな大都市でもまったくおなじのようで、うんざりした。
今まで何度も、読もうと思って恐くて挫折した「親のぼけに気づいたら」をドキドキしながら読んでいる。

話がすこしそれるけど「昔の人は、経済的にすこしくらい不安でもひーこらいいながら産んで育てたんだ(だからお前らも)」という言説をうさんくさく感じるのは、こういう現状のせいでもある。そのひーこら言ってた人の現状がこれなのだよ。仮に私が10年前に出産していたとして、この現状を何かよいほうにシフトさせておくことが出来ただろうか?

私自身も健忘がひどく、今までは薬と不眠のせいかなと思っていたけど、なんだか洒落にならない健忘もたびたびある。長谷川スケールでチェックすると全体的には二人ともいいスコアを出すのだが、何か出てからでは遅いのだよね。でも私はものすごく怒りっぽくなってる。チーズが食べたいのはセロトニン不足の影響かもしれない。じゃあ食べたいだけ食べればいいのかな。

今日、心療内科の近くのモールでパルミジャーノが100円引きなので買ってきたけど、マスカルポーネにするんだった。最近ハードばかりで飽きてきた。

で。

あの事件後、父は何かっていうとネタにするんですよ。
鍵をしまいこんだジャンパーを着ては「証拠物件でも着て出かけるかなw」とか言うし、私が鍵の場所を変えたら「ダル、お姉ちゃんが鍵の場所変えとるw」とか言うし、いわゆる「言いつくろい」はしないし、そもそも鍵を発見してまっさきに報告してきたときもちょっとした演出があって、まあ、悩んでないのはいいことなんだけど、その後しばらく私が笑えなかった。