いやな国、いやな町

大変不愉快なことがあった。
和食のユネスコなんとか登録もそこはかとなくけったくそ悪かったが、それをはるかに上回る不愉快な事件だった。しかもベクトルが逆なはずなのに不愉快さの質が同じだ。私は今混乱している。

昨日、近所の美容院に髪を切りに行って、切ってもらいながら、副業で家庭教師をしている話をしたら、
「どこのおうちですか?」
「M町ですか?」
「M中ですか?」
「うちも3年生に子どもがいるんでめっちゃ気になるんですけど」
とえらい食いつきよう。
最初はぼかしていたけど、しつこいので「とりあえずここの中学校ではないです。クライアントさんの個人情報ですからいえません」と言ってその話はやめてもらった。それ以上は聞かれなかったけど、しかし、私は客で相手は私を相手に商売してるっていう立場で、なんなのこれ。どこの家の子どもが家庭教師をつけてるかって、聞いてどうする?話題にするの?どこで?そしたらそこん家の人の耳に入るわけでしょ。言える訳ないじゃん。私は家族にすらどこのお宅とは言ってないんですよ。

田舎にはいい田舎といやな田舎があると思うけど、ここはいやな田舎だ。父にぶちまけたら「その会話はここでは自然なことだ」と言われた。なんだと!デイサービスにいたときもうんざりしたけど、ここは100年前から相互監視社会である。監視社会は厄介だぞという警告がピンと来ない人はうちの町に1年住んだらいい。町ごとオホーツク海に沈めたくなるはずだ。

その後、話は英会話力の必要性に流れ、
美「ここは日本なんだから日本語できないのに旅行にくるやつが悪いんじゃないですか」
私「イスタンブールでは子どもでも日本語や英語で話しかけてきますよ。屋台まかされててるから、意気込みが違います」
美「それは外国じゃないですか。ここは日本だし」
私「東京オリンピックが来るっていうのに、日本は観光都市としてやっていこうって意識が低すぎます。銀座で働いていた時ですら、今日英語が通じる店はここで2軒目なんて言われましたよ」
美「銀座だって日本じゃないですか」
私「いつ戦争がおきてこの国を焼け出されるかしれないでしょう。台湾の知人は各国に子どもを留学させてます。どこで政情不安が起きてもいいように考えてるんです」
美「戦争になったらみんな死ぬんですよ(笑)」

という、不愉快極まりない会話をして出てきた。いつの時代なのかとめまいを覚えた。

私は英会話をごり押しする立場ではないのだ。何も国民全員が英会話ができなくてはダメだと思っているわけでもない。それに日本人は翻訳業界に安定して人材を送り続けているのであって、ちゃんと英語教育が成果を出しているのである。それはそれでいいのだが、それにしたってオリンピックをやって海外から客を呼びたいなら、この国はもうちょっとどうにかしたほうがええがな。イスタンブールがふられたのはやっぱりテロが心配だからという理由らしいけど、それにしたってこんな国に決まってしまって本当にすまないことだ。話しかけられたらいやだから外人とは目をあわさない、なんて国なんですよ。トルコ人に謝れ。

この美容師が海外からの観光客誘致に個人的に乗り気でないとしても、「戦争になったらみんな死ぬんですよ。」と笑っていえるのは、本当に身に迫る危機を感じたことがないからである(それでも戦争は起きるわけがないとは言わないくらいまでに、日本の状況は悪化しているということだと思う)。そんな危機は感じないにこしたことはないが、北海道に帰ってきてから、震災を経験していない人ののんきさに呆れることもまた、たびたびある。

あの日の東京駅がどんな状況だったか説明して(これは別の人だが)
「東京じゃ凍死しないでしょ。とりあえずコンビニで食料調達しようって頭があれば別に何も困ることねーし」
と言われて絶句した。

一言で言えば平和だということなのだが、平和ボケと無神経は紙一重というかほぼおなじことなのだな。平和なのはいいことだ。だがここにあるのは見るべきものを見ていない平和である。私はこの平和を憎む。これはダメな平和だ。
銀座も日本である。その通りだ。そしてここも日本だ。日本はもうそんなに平和な国ではないと思うのだが。