投票難民

投票しんどかったですよ。投票所がわかんなくて。

私が20年(北海道からは10年)離れていたあいだに公共施設の名前が全部変わってしまい、福祉○○は文化○○に、文化研修○○はうんちゃらというまた別の名称へという具合で、なんとなく以前の場所に同じハコモノがあるのはわかるが、今現時点の名称がいまいち把握しきれずどれがどれだかで、まあ行けばわかるだろと思って出勤前に行ったらなんか違ってて、ぐるぐるしてるうちに時間が来てしまった。退勤後にギリギリの時間で辿りついたら駐車場の入口がわからなくてまたぐるぐるしてしまったよ。すさんだ心で入場し不必要に役人を威嚇しつつ投票。

最も、事前に調べて期日前にくればよかったと言う話なのだけれども。

つくづく思ったのは買物難民ってそのまま投票難民じゃないのかということ。サファリラリーみたいな買い出しで体力使い果たすような生活して、しかも自分の命があと数年とかだったら、行く?私は行かない。それに年間自殺者が3万人いるってことは3万人の自殺予備軍も常にいるってことで、この人たちも行かないよね。絶望してるんだから。
いっそ特養に入れば在宅で投票できるんだろうけど、ほんとは要介護状態なのにお金がないせいで自分から「自立にしておいてくれ」って言って自立してるということになってるような老人も投票に行かない、あるいは行けないと思う。

選挙の何がいやって、投票率の低さをものすごい上から目線で「日本人として終わってる」って言う人がいやなんですよ。そりゃ投票は大事なことだろう。でも、だからって何もあんたがそうえらいわけじゃないだろう。なんか、タバコ吸う人と菜食主義者と投票行かない人については、何を言ってもいいことになってませんか?権利を行使しないなんて、と言うのもそれは確かに一つの理屈だろう。でもそれで威張るのは違うし、選挙ってふだん何もしないけどそれってダメかしら、って思ってるような人のちょっとうしろめたい気持に働きかけて「何もしてないわけじゃない、そんなことより、もっと下の人間がいる」っていう言い訳を与えるものとして機能してるでしょ。誰に票を入れたとしても、行かないよりは行った人がえらいっていう。そういうのやめましょうよ。