ちょっと復活

婚活はお休み中です。

さてネガな話はあっちではしないので(あっちは白ヘデクなのだ)。


母がなくなりました。そんなわけで会社は休みをとり、喪服とか買った。飛行機はエアドゥ。とりあえず片道。

このブログの前のブログから読んでくれてるすごく少数の人はなんとなく記憶のすみにあるかもしれないけど、もともとこのブログは私の母離れリアルタイム自己脳内議事録でした。母、母と自分の関係、自分、自分の身に起こったことを客観的にみて文章にしてみようという部分がすごく大きかった。あと、やはり離婚はすごく大きな事件で、それを自分の中で消化するためにも必要だった。その途中でなんでか変な人と喧嘩して、それが縁でいろんな人と知り合った。あのときは援護射撃の数々をありがとう。私なんかより頭がよくて理論的な人がいっぱいいるんだと思った。そして、どんなにどこから見ても「正しい」言葉で「懇切丁寧に」説明されても、通じない人にはほんと通じないんだということも、あの時私は初めて知った気がする。それまで私は、自分がおかしいから言葉が通じない、私が自分のおかしさを矯正すればいいだけなんだ、と思っていたんだけど。

それは結局「母と理解しあうなんて無理だし、無理でいいんだ。」につながっていったようにも思うしそうでないような気もします。

あのとき交流があって今ない方もありがとうございました。


そんなわけで、母の悪行の数々をばらそうかとも思ったのだけど(もうほんと社会人としてどうなの的な)、なんか書いても書いても当事者にしかわからない文章になってしまう。そして書くほどに、第三者の目から見たら昭和の愉快な奇人変人なのだった。家族はマジ大変でしたけど。ていうかもう3時じゃん。ていうか雨じゃん。洗濯物・・・。

北海道を離れて10年、たまに電話してもまともに会話が成立せず、会うと10分で不快になり、父のことは心配なのだが母がいるので家に近づけない状態でした。父は家に関わろうとしなかったし、率先して子どもを守ることもしなかったけど、私が北海道を離れる時も反対しなかったし、病気で倒れた母を延々と最後まで介護したのは父でした。

今朝4時の留守電には父の声で「たった今お母さんがなくなったよ。うるさい人はもういなくなったから、帰っておいで」と入っていた。